This video has been deleted. そのようにメダカの絶えた水槽を見る
(岡野大嗣「Hello, My Low」『サイレンと犀』)
この英文はもはや男の共通言語と言っても過言ではありません。
荒井自身も何度出会ったことか。
空しさ、落胆、怒り、焦りなどが入り混じったあの名状しがたい気持ち、分かりますよね。
そしてこの言葉を短歌にねじ込んでくるとは、強者です。
比喩をふんだんに使って説明しますね。というか、引用しますね。
This video has been deleted(でぃすびでおはずびーんでぃれいてっど)とは、この世界に厄災を齎す禁呪のことである。この文言をなにかしらのきっかけで見かけてしまった者は、己の内に秘めていた欲望のやり場をなくすことで、七つの大罪を生み出す感情すべてを一瞬で味わい、世界に対して呪いを投げかけ、朽ち果てることとなる。
https://bokete.jp/keyword/This%20video%20has%20been%20deleted
だそうだ。
ちょっと何言ってるか分かんないところもありますが、まあだいたい分かります。
一言で言うとこれは、「ものすごくがっかりさせる魔法の言葉」なのです。
知らなかった方は、ぜひとも体験してほしいところ。
ただ、同じような感覚は、皆さんも体験しているかも知れません。
例えばネットで、ここをクリックすればお目当てのものがある、、。
このページをめくれば。この扉を開ければ。この階段を上がれば。この時間が終われば。
あれすればこれすれば、ればればればればればればればれば。
が、しかし。
ない。すでにない。すでに、いない。
あるはずのものがない、その上、「なくて当然でしょ」的な空気すら漂うことだってある。
それがまさに「This video has been deleted.」です。
と、ここまで書いててやっと浮かんだことがあるんですが、これ、あえて誰が悪いかということを考えれば、やっぱり自分自身が悪いのかなあ、とか思い始めました。
おいおい、急に何を言い出すんだ。
どういうことかと言うと、これは自分自身もはっとしたんですが、「This video has been deleted.」を突きつけられて、なんとも名状しがたい感情が起きてしまうのは、
手に入れられると思い込んでいたから、なんじゃないかと思うんですね。
「存在すること」が当たり前になってくると、それがないと、なんでだよ!ぼけぇ!ってなってしまいますが、いやいや、違うんですよ。
なくて当たり前なんですよ、と。
むしろ僕らは「This video has been deleted.」という状態を当たり前のように受け入れるべきなんですよ。
なぜ、あれほど複雑な感情が湧き上がってしまうかと考えていましたが、いまやっと優しい気持ちで向き合うことができたような気がします。
そして荒井は、「This video」を視聴できるその奇跡を噛み締めながら、夜を過ごすのでした。
そういえば、短歌、全然関係ないね。
●文/歌人・荒井貴彦
大学一年生の時に短歌を詠み始めました。主な源泉は寂しさです。 最近はもはや、短歌にすがりついている感すらありますねえ。 「荒井の随筆」というブログで自作短歌を公開中です。