僕、この歌がものすごく好きで、初めて出会った時なぜか鳥肌が立ったんですよ。
ところが困ったことにどこがどう好き、というのは未だに上手く言えなくて、なので今回もそういう説明はしません。
まあ、「妄想一首評」ですからね。どうか許してください。
それで、この歌はなかなかにイメージしにくい歌ですよね。
「ふれたならそれはみな星」「やがて腐敗する星」
うーん。この場所は荒井の自由な解釈が許されているわけですが、それでも、難しいなあと思いながら書いています。
じゃあ書くんじゃねえと、そんなことを言われてしまいそうですが、まあまあまあ、一緒に楽しんでいきましょうよ。
なんというか、この歌は、ふれたものがすべて「腐敗する星」になってしまうことを、否定的と肯定的、そのどちらとしても捉えることができるように思えます。
ここでいう「ふれた」は「他者が理解できるような状態になった」ということなんじゃないかなと思います。「言語化」や「区別」とも近いような気がします。
指を差す感覚の「それ」という言葉を使っているものの、実は自分自身を覗き込んでいるような、そんな雰囲気が出ています。
で、否定的か肯定的かは「腐敗する星」の解釈次第、というところだと思っているんです。
じゃあまずは否定的な解釈からいきますね。
これは簡単にいうと「誰にも分かられたくない」みたいなことだと思うんです。
自分にしか分からない、なんなら自分でもよく分かっていない自分自身のことなんて、他の誰にも分からない。分かられるのが、怖い。
誰かによって言葉にされてしまったが最後、それは自分の身体から離れていって、自分ではなくなってしまうかも知れない。
そんな恐れ、のような感情を「腐敗」という言葉で表現しているように見えます。
では、次は肯定的な解釈。
こちらは逆に「見てもらって、分かってもらってなんぼ」みたいなことのように感じます。
夜空を見上げた時、光っていない星は星ではないというか、光っていないと僕たちは認識することができません。
他者に理解できる形になってはじめて伝わる。
星が光っているということは死に向かっているということでもあると思いますが、「腐敗」とはその星の死であり、もっと言うと自分自身の死を表しているようにも思えます。
しかしどちらにしても腐敗していくのであれば見てもらってなんぼでしょ!!という姿勢が感じられます。
そして星がいくつも集まれば星座になります。ちょっと大げさかも知れませんが、物語が生まれる、とも言えますね。それは大げさですか、そうですか。続けます。
ふれられた星はいつか腐敗していくが、それでもそれが集まることで星座となり、それは自分自身の人生を表s、、クサい表現のため最後まで言い切ると荒井のこころがやられそうです。
が、ともかく、言いたいことはなんとなく伝わったでしょうかねえ。
僕自身はというと、「誰にも分かられたくない」と思っているほうだと思います。扱いにくい、厄介なほう。
というか、ちょっと聞いてくださいよ、こないだ心療内科行って(その時点で問題あり)先生と2時間くらい話してきたんですが、その結果「君は自分の気持ちの変化に、君自身も気付いていないようだね」って言われました。さらに言うと、「なので、他人の気持ちも分からないよね」って。困りましたねえ。
一番困ったのは、その事実にすら腹落ちしないことなんですよ。自分の気持ちに気付かないから【笑】
とはいえ、プロが言うのでそうなんでしょうね。
しかし、誰にも分かられたくないと思っている一方で分かってほしい(どっちなんだよ)とも思っていますし、そのためには下手くそでも発信し続けるしかないのかな、と諦めつつも前向きに書いていきます。
星が星座になるように。
おっとーーー!なんか上手いこと言ったっぽくなりましたね!
そういうわけで、短歌の話から荒井の話になってしまいましたが、なんとかまとまったのでこのあたりで。
●文/歌人・荒井貴彦
大学一年生の時に短歌を詠み始めました。主な源泉は寂しさです。 最近はもはや、短歌にすがりついている感すらありますねえ。 「荒井の随筆」というブログで自作短歌を公開中です。