『恋人不死身説』回の1回目は恋人を異常なくらい見ました。
見すぎってくらい見ましたね。
今回は、別れです。
恋人のことがどんなに好きであろうとも、どんなに相手から愛されていようとも、いつか必ず別れがやってきます。
この『恋人不死身説』でも、別れが来ます。
あれだけ好きだった恋人がいなくなってしまいました。
恋人に限ったことではないですが、自分にとってすごく大切なものを失くした時、どうなるんでしょうね。
立ち位置が判断できない
ドーナツはひとりで食べると甘すぎて自転車をとめた場所を忘れる
いつも恋人とドーナツ屋に行っては、分け合って食べていたんでしょうねえ。
もうそれはできません。
すると、味覚がちょっとおかしくなってくるみたいです。
いつも恋人と食べていたドーナツの味が、今日は全然違う。甘すぎる。
なんなら、恋人と食べていた時は、味なんてどうでも良かったのかも知れません。
とりあえず嫌いな食べ物でなければどんな味がするのかなんてどうでも良くて、誰と食べるか、それだけが大事だったのかも知れません。
実は甘すぎたドーナツを食べた帰り道は、いつも通り帰るはずが、もはや自分がいまどこにいるのか、さっきはどこにいたのか、停めたはずの自転車はどこにいってしまったのか、そういうことが分からなくなっています。
荒井は以前、抗うつ剤を飲んでた時期があって、ふわふわした感覚になることがよくあったんですが、そんな状態で外出する時、似たような感じになっていました。
目的地に向かっているはずなのに、どこに向かっているか分からなくなる。
不思議な感覚になったような覚えがあります。
時制が判断できない
「お客様おひとりですか」「ひとりですこの先ずっとそうかもしれない」
違う。そういうことを聞いているんじゃない。
ファミレスで、あんたは何人で来たのかって聞かれただけなんですけど。
「ひとり」という言葉に異常に反応するようになって、質問の意味も時間の感覚も分からなくなってしまっています。
「この先ずっとそうかも知れない」
聞いていない。そんなことは聞いていないし、たぶん興味もない。
恋人がいなくなったという衝撃によって脳内がそればっかりになり、聞かれもしないことを話したくなる。
けっこうわかる。
荒井も過去に、余計なことを話しすぎて、呆れた様子で「荒井って、欲しがりだよね」って言われたことがあります。欲しがりです。
君の痕跡は判断できすぎる
ああこれもぼくの抜け毛だ またきみの抜け毛が見たい もどっておいで
みなさん知らないと思うんですけど、この人、恋人の抜け毛を保存してたんですよ。
なんとなくきみの抜け毛を保存するなんとなくただなんとなくだけど
という歌があります。狂気じみてますよね。
だから、たぶん自分の抜け毛と恋人の抜け毛の区別がついてしまう。
恋人のものであれば、ほとんど分かってしまう。たとえ抜け毛であっても。
異常に見ましたからね。脳内に焼き付いてしまっている。
だから、一本の抜け毛からだって、恋人を連想してしまっては、「もどっておいで」と考えてしまう。
「きみの抜け毛が見たい」から「もどっておいで」と言うのも、狂気を感じますね。
まあ、恋人の気持ちについては理解し切れていなかったようですけどね。だからこんな結果になってる。切なみが深い。
合わない焦点
恋人がいなくなった。この歌だけでは、どのように別れたのかは判断できませんが、とにかくもう隣にはいません。
自分にとってものすごく大事なものを失ったとき、もう今までの生活とは見える世界ががらっと変わってしまいます。
そうなると、自分がいる場所や、時間軸が分からなくなってしまう。
それでも、恋人の形跡は分かりすぎるってほど分かる。
それくらいのエネルギーを注げることは、もはや才能だと思います。
●文/歌人・荒井貴彦
大学一年生の時に短歌を詠み始めました。主な源泉は寂しさです。 最近はもはや、短歌にすがりついている感すらありますねえ。 「荒井の随筆」というブログで自作短歌を公開中です。