2018.03.7

【短歌しない?】『荒井の妄想一首評』:異常なくらい見る、感じる

このコーナーは「一首のみ」を扱うことが基本ですが、色々試しながら書いています。

そして今回と次回は、谷川電話という歌人の『恋人不死身説』から短歌を取り上げていきます。

タイトルからしてちょっと何言ってるか分かんないですね。表紙のイラストも明らかに病的ですね。谷川電話さんは、異常です。何が異常かというと、それは恋人への集中度、恋人に対する観察力、恋人にまつわる妄想。

 

不死身、、なの?

恋人は不死身だろうな目覚めたら必ず先に目覚めてるし

おいおい、恋人が不死身なわけがない。恋人になった時にそうなるわけでもない。

そもそも人間は不死身ではない。

だけど、谷川電話さんほど異常なまでに恋人を見て、恋人を感じていると、もしかしたら、「不死身だろうな」と勘違いしてもおかしくはない。おかしくない。

そしてここで白状するんですが、さっきは「おいおい」と突っ込んでおきながら、実は荒井自身も一瞬そう思ってしまったのです。恋人って不死身なのかも知れないって。そう思ってしまった以上、書くしかありません。

というわけで、『恋人不死身説』から3首選びました。

 

観察する

終電の連結部分で恋人を異常な位じっくりと見る

早速じっくりと見ています。終電に乗っている彼らは、おそらく別々に住んでいるのでしょう。
もうすぐ別れの時間が来てしまうんですかね。そして連結部分は、車両と車両を繋げているもの。
これがなかったら車両を繋げることはできない。逆に言えば、もともと二台の車両は繋がってなどいなかったわけです。そういう連結部分で、別れの時間が近づく終電で、恋人を見るわけです。

勝手に満員の車内を想像していますが、恋人じゃない人とこんな状況になったら気まずくて仕方がない。
でも、恋人と生活していても、ここまで近くで見ることって意外と少ないんじゃないですかね。
それで観察してみると今まで気にしたことのなかったところに気付くはず。
こんなところにホクロがあるんだとか、耳のヒダはこんな形なのかとか、化粧している部分としていない部分の境目を発見するとか。
恋人のいない荒井がここまで妄想してしまっているわけですね。
前科はありませんのでご安心を。本来なら切り離されていた車両間で、見る。もうすぐ別れるから、見る。脳裏に焼き付けては、好きな時にその映像を再生するんでしょう。

 

 

保存する

なんとなくきみの抜け毛を保存するなんとなくただなんとなくだけど

「なんとなく」って3回も言ってる。31音しかないのに。そこに狂気を感じます。たぶん本当に「なんとなく」抜け毛を保存していると思うんです、本人的には。それ自体はまあ普通というか、いや行為自体は全然普通じゃないんだけど、特に動機もなくやる行為ってのは日常の中でも意外とあるはずです。

だけどねえ、この歌には恋人への異常なまでの関心が、めちゃくちゃ強固な土台として存在しちゃってますよねえ。にじみ出てますよねえ。そういえば、西洋の美術作家でも一人いましたね、妻の髪の毛を保存してた人。誰だっけ。

(ここで必死にググる。「美術家 妻 髪の毛 保存」などでググる。出てこない)

確かその作家は、自分の部屋がアトリエで、ガラクタ集めまくってた人。

(もう一回ググる。「ガラクタ 美術家」でググる。あ!!)

そうそう、そうだ、ドイツのクルト・シュヴィッタースだ。メルツ建築の。

あー、スッキリした。

 

ちょっと逸れましたが、二人とも、好きな人そのものを保存しておきたい、それができなければ爪でも髪でも残しておきたいという強い関心があるんでしょうね。

そういう基盤があるからこそ、異常な行動も「なんとなく」やってしまうんだと思うんです。

 

まあ、この気持ちは分かるような気もするんですけどね。恋人に限らず、大切な人からもらったものって、なんとなく取っておくことが多いです。お菓子の箱とか袋とか。突然、いやこれどう考えてもいらないなと思って捨てる時もありますけど。けっこう取っておきます。もしかしたら、抜け毛を取っておくこともあるかも知れない。いまのところ99.93%やらなそうだけど、やるかも知れません。

溶ける

二種類の唾液が溶けたエビアンのペットボトルが朝日を通す

 

普通はこんなこと考えない。さすがにこんなところに注目したことはなかった。「異常なくらい見る」「抜け毛を保存する」まではついていけた。だけど、ここまで来ましたか。

エビアンのペットボトルっていうのはどこにでも売っているモノです。だけど、自分と自分の恋人が飲んだ時に、二人にしか分からないある特別な関係性が隠れた特別なエビアンになるんです。

何も知らない人がそのエビアンを見ても、「エビアンだ」と思うだけで、それ以外は特に何も感じない。
だけど、自分からしたら、この世に二つと無いエビアンなのだ。なにせ、自分と恋人の唾液が混ざっているのだから。

何がなんでも繋がっていたい

谷川電話さんの『恋人不死身説』から3首選び、つらつらと書きました。
ここに通底するのは、「恋人と、1mmでもいいから、何がなんでも繋がっていたい」という感情だと思うんです。直接触れたり見たりすることで、あるいは身体から出たモノを意識することで。確かに、ここで挙げた短歌は明らかに異常でしたが、「繋がっていたい」と思うことは割と当たり前のようなことのようにも思えてきます。そのレベルがちょっとだけ常軌を逸していただけで。というわけで、今回は恋人がいる状態での短歌を選びました。

次回は、別れがやってきます。お楽しみに。

 

●文/歌人・荒井貴彦
大学一年生の時に短歌を詠み始めました。主な源泉は寂しさです。 最近はもはや、短歌にすがりついている感すらありますねえ。 「荒井の随筆」というブログで自作短歌を公開中です。