こういう狂気じみた短歌が好きでたまりません。
だって意味分かんなくないですか。
たぶん、誰か(おそらく恋人)に「分け目、逆にしてみたら?」みたいなことを言われたんでしょうね。軽い感じでね。
そしたら、じゃあひざまずけって。意味分かんないですよね。
こういうのが、短歌の中で一番好きなんですよ。
なんか、この歌に明らかな、「危うさ」が感じられますよね。
ある程度の信頼関係はあるかも知れませんが、それ以上に、何かが崩れたら一瞬で崩壊してしまう、そんな危うさがあるように思えて仕方がないんです。
そしてそれを知っていながらも、見ないフリをしている。
見て、触れてしまうことがトリガーとなり、瞬く間に崩壊することを知っているから?
ともかく、そういう状態で生まれる言葉には、やはり狂気があります。
「いやいや、分け目変えたくらいで、何でひざまずくんだよ」ってツッコミが来そうですが、たぶんこれ、本人は本気で言っていると思います。
「本気」と書いて「まじで言ってるし、異議は一切認めないから早くして」って読むぐらい本気だと思います。
この危うさが良いんですよねえ。
そうそう、そういえば最近『累』っていうマンガを読んでるんですよね。
ものすごくざっくり説明すると、醜い顔をした女性が「他人と自分の、顔と声を交換することができる口紅」を使って、華やかな演劇の世界をのし上っていく物語です。
とこれだけ聞いても、もうすでに「どっかで破綻するだろうな」って思うじゃないですか。
荒井はまだ最新巻に追いついてないんですが、もう常に崩壊寸前って感じで物語が進んでいくわけなんですよね。
上の前髪短歌(!?)もこれと似た感じかなあ、と勝手に思ってて、やはりこれも危うさを土台にしていて、「どう考えてもハッピーエンドはないよね」って思ってしまいます。
そしてそれに惹かれてしまう荒井がいます。なんなんでしょうね。
ついでにこれと関連して、もう一首紹介します。
ほんとうはあなたは無呼吸症候群おしえないまま隣でねむる
(鈴木美紀子「無呼吸症候群」『風のアンダースタディ』)
いや教えてやれよ。
でも、絶対に教えないでしょうね。
「私は、あなたのことなら何でも知ってるの。あなた自身が知らないことまでもね」って囁かれている気分になります。
ゾッとするような、愛情、いやこれは「支配」に近いかも。
でも、最初の前髪短歌もそうですが、「あなたは私のことを愛している」という確信があるのか、実はそんなもの存在しなくて、ただただ不安定な自分を正常に保つための呪文でしかないのか。
後者だとしたら、ひざまずかせることで相手を支配しているように見えて、実は自分が支配されている?
分け目を変えるきっかけをなくすこと、ひざまずいてくれる存在を失うことへの恐怖。
そんな状態に陥っているようにも見えてきますね。
しっかりと定型に収まっているはずなのに伝わってくる、この「危うさ」。
皆さんにも伝わったでしょうか。
●文/歌人・荒井貴彦
大学一年生の時に短歌を詠み始めました。主な源泉は寂しさです。 最近はもはや、短歌にすがりついている感すらありますねえ。 「荒井の随筆」というブログで自作短歌を公開中です。