2017.12.14

【短歌しない?】『荒井の妄想一首評』:はじめに

初めまして。荒井と申します。

いや誰だよって。そりゃそうなりますよね。続けます。

誰も聞いてないかも知れませんが告白しますね。

わたくし荒井は、短歌が大好きでして、よく歌集を読んだり自分で短歌を作ったりしています。

短歌ァ?はあ?って思うじゃないですか。

そうなんですよ。短歌って「堅苦しそう」とか「読んでもよく分かんない」とかで、けっこう敬遠されがちなんですよ。

このコーナーでは、そのイメージを壊していただきたいなと目論んでいます。

毎回一首紹介していく中で、「短歌ってこんなのもアリなんだ」って思ってもらえるはずです。

ただ、それでもやっぱり「読んでも分かんねえよ!」ってなってしまうかも知れません。

そこでなんですが、荒井が思うに、短歌を楽しむためには妄想が必要だと思うんですよ。妄想。

 

短歌は「五・七・五・七・七」という定型を持っているわけなんですが、この定型のせいで(おかげで?)伝えたいことがあっても泣く泣く削らなくてはいけない状況がよく起こるんですよ。

読み手としてはそこを妄想でもってカバーするといいますか、妄想してもらって歌が完成するような、そんな感覚がありますね。

そこで本コーナー「荒井の妄想一首評」です。

一般的に「一首評」というと、ある短歌に対して、短歌史的に言えばこんな位置づけだ、文法的にはこんな構造を持っている、こういう点で優れている、などといったことが書かれていて、

「はあ~~~勉強になったなああ~~~~~~~~~」とか思うわけです。

ですが、なんだかお高く止まっている感じがして、あんまり好きじゃないです。

完っっ全に荒井の好みですが、あんまり好きじゃないです。

本コーナーでは、一首の短歌に対して荒井の妄想をつらつらと書いていきます。

短歌史とか文法とか、そういうものはちょっと置いといて、「その短歌を読んで、荒井の頭からどんな世界が引っ張り出されるか」、この点に絞って書いていこうと思っています。これは荒井自身も予測できません。

短歌は各々が感じたように読めばいいと思うので、荒井の妄想もほんの一例です。

ですが、これを読んでいただくことで妄想しながら短歌を読む、そしてあわよくば自分も作ってみようかな、という人が増えればいいなと思っています。

それでは今後とも、何卒!

短歌ライター 荒井貴彦