2018.04.4

新宿JAM最後の男、石塚明彦氏インタビュー『インディーズシーンと新宿JAMの最期』後編

新宿JAM最後の男、元店長の石塚明彦氏へのインタビューの後編である。前編はこちらから。


新宿JAMの閉店が決まった時

―――新宿JAMの閉店が決まった時、率直にいかがでしたか?

そうですね。みんな変な言い方すると、ええ終わり方をしたな、と思っています。終わるにしては。ビルの取り壊しってあきらめきれるじゃないですか。経営がどうとかだったら俺のせいだとか思うんですけど、ビルが取壊しになるんだもん! もうどうしようもないよね。解体工事みながらバ ーベキューやろか、とか。夏だったらやってたね

―――確かに。そればかしはしょうがないですね。

一番落ち込んでたのは6月くらい。ビルのオーナーが売却したと聞いて。

―――それきいたときどうでした ショックでしたね

あー、えらいもん失うな、という喪失感はありましたよね。最後の 100 日はよかったなあ。最後の100日になるまでは結構、どういったらいいんだろう。表現が悪いけど鬱っぽくなっていましたね。 だって、12年間、自分のよりどころじゃないですか。好きな仕事で、好きな奴らと一緒に仕事して、 無くなったときの喪失感を想像すると、正直怖かったです。発表されてから1か月くらい、みんなに聞かれるんです 「大丈夫ですか? どうするんですか?」と。聞かれるとだんだん不安になってきて。 100 日前のカウントダウンからむしろ元気になりました。願掛けじゃないけど、105 日間禁酒をしました。「最後は美しく終わろ」と。酒をやめると健康になったりし て。カウントダウンが 9 月半ばくらい。100日 切ったら大いに盛り上がろうと、開き直れました。

どうかしてるイベントJAMFES

―――それであのカウントダウンイベントに繫がったんですね。JAMといえばやはり「JAM フェス」、あんな狂った企画やるのなんて JAM しかないですよ笑。

ああいうイベントはあると思うんですけど、何が狂っているって毎朝 8 時からやることで すよ。朝 8 時からはじまるライブを 7 日間続けるフェスはないだろうね。最初は 48 時間。終わってみれば 192 時間、毎年増え続けましたね。毎年前の年の 11 月 12 月くらいにやるかやらないかの儀式があって、その辺から着手する んですよ。「やばい来年の GW、平日が二日もある、でもやるでしょ」みたいな。平日 8 時からやって誰が来るねん、と笑。スタジオをライブ会場と言い切るってのも面白かったなあ。スタジオライブはいったん火が付くとめちゃくちゃ盛り上がるよね。

―――ゼロ距離、熱量のすごさですよね。

そう、目の前でやってるもんね、1mも感覚ないので。JAM フェスで覚えているのは 朝 6 時に150 人くらい入れたんですよ。あ、こんな時間でも集まるんだと、音楽楽しんで 6 時を待っていたという喜びと、こいつらこの時間にこんなに集めるのすげえな、と思いましたね。朝出ているやつらは逆に熱いですよね。最初はなんでこんな時間にだすんだ、バカにすんな、みたいに言われるんですけど。その時間に出るやつらは事前にめっちゃ説得するんですよ。お前ならできる、誰もいない誰も見ないかもしれない、むしろ俺すらも寝てるかもしれない、でも出てくれ、と。俺はこの時間にでてくれたお前らを絶対に忘れない。無茶苦茶ですよ。

―――無茶苦茶すぎる笑

せめてお前くらい見ろよ、といいたくなりますわな笑。 延べ 800バンドを調整しないといけないので、めっちゃ緊張しますね。ずれたら大変なことになりますかね。10 分でも間違えたらガタガタになりますからね。抜けがないかなー、と怖かったです。あの少人数で。3 回目くらいからあれを楽しみにしている人がでてきて。俺は「ホンマか?」ってききたかったんだけど。選ばれた人だけが出るイベントではないんですよね。初心者でも。出たいと聞いて断ったことないですね。あれもひどくてしんどいイベントだったよなー、寝れないし。1 日4、5時間くらい寝たかな? たしか。終わった時は結構泣けますけどね。よう、無事で終わったな、と思いましたけどね。震災の年が初回だったんですよね。 開催大丈夫かな?って。決行するところが新宿JAMですわな。やったことないイベントだったのに。48 時間とはいえ、長いですからね。

―――話しているとほんとさみしくなりますね。ラママで面白いことしてくださいね。

ラママも JAM と違うんですけど、じわっとした味というか、最近つくったホールではない 温かみはありますよね。あの柱もだんだんすきになっていくんじゃないと思いますね笑

―――ありがとうございました!

ライブハウスは永遠だ。

新宿JAMは無茶苦茶だ。新宿JAMは狂っている。そして新宿JAMはバンドマンの家だった。まさに「国」そのもの、「JAM王国」と呼ぶに値する。そこに一つの国があった。だが、臭くて汚くて暗くて入りづらくて、愛すべき新宿JAMはもう、ない。無くなったものほど愛しいものはないが、まるで親しい友人が亡くなったような、そんな感覚にも似ている。石塚氏は渋谷ラママへ。そして新宿JAMは先日、西永福JAMとして新たなスタートを切る。ライブハウス文化は例えどんなに時が流れようとも永遠に続く文化、そう言い切りたい。渋谷ラママも西永福JAMも、今後の活躍に期待します! 頑張ってください!

 

●文/インタビュー 東京饗宴 編集長・ライター    ロックス
映画を中心に執筆活動中。得意なジャンルはB級〜Z級映画。勝手にその年の受賞作品を決める「輝け!日本ぬかデミー賞」を主宰。バンド活動、ウェブメディアの運営やイベント製作・萬屋経営など、マルチに活動中。