饗宴ナイト、もちろん行きましたよ。あのパワーに圧倒されたね、50過ぎのオジサンは。
それで途中で持たなくなって、奥のベンチで30分寝た(笑)若いっていいよな。
ヴァン・ヘイレンとか、かかっていたMJとか、リアル世代はあの中で僕だけだったんじゃないかな。
Beat Itがヒットチャートで何位まで上がるかというドキドキ感とか、デビッド・リー・ロスが抜けてサミー・ヘイガーに代わったときのガッカリ感とかを生で知ってるのって、貴重でしょ・・(歩く80sと呼んでほしい)
楽しみにしていた第1回「輝け!日本ぬカデミー賞」。
外国映画部門は、「・・・」でしたねえ。
ノミネートされているのも知らなかったけど、前から唯一の審査委員で審査委員長のイチ押しだったから、満場一致で受賞は当然だよ。
ちなみに僕も観たからね。
あれ、切支丹迫害の映画ですから。
そうです、キリスト教を描いているわけです、そりゃあ観ますよ。
遠藤周作の原作を読んだのは高校生のとき。
はっきりいって、全然わからない、面白くない、気に食わない。
遠藤はカトリックってことになっているけど、「こんなの書いて、ほんとにクリスチャン?」って思った。
なんか消化しきれない、モヤモヤしたものが残ったのね。
高校生の頃はこれでも少し尖がってたんですよ、信仰に関して。
だって周りの連中が、議論吹っ掛けて来るんですよ。
「神なんかいるわけない」って。
だからこっちもムキになって、大分やり合いましたね。
まあ、お互いそれを楽しんでた部分もあるけど。
高校生なんて、まだまだ理屈だけだから。
世の中に出ていく前に、世の中とは何かをあーだこーだ言い合っている。
それが悪いとかじゃなくて、それが青春ってことだよ。
まあ、それから何十年か経って、映画ができて、あのモヤモヤは何だったんだろうと確かめたくて観に行きました。
すでに細かい内容は忘れてました。
映画のラストは、遠藤の原作にスコセッシ監督の解釈を加えていますね。
だからメッセージとしては一応成り立っている。
「遠藤はこう言いたかったんです」と。
まあ、いいですよ。解釈は自由だし。
でも一つ、僕は重要な問いかけを見つけた。
「井上様」イッセー尾形さんが、外国人特派員協会での記者会見中にこう逆質問したの。
「皆さんの中で答えられる方がいらっしゃったら逆に答えて頂きたいんですけれども、神は沈黙したと。じゃあ、いつしゃべっていたんですか?これがとても僕はキリスト教詳しくないので、もしはいという方がいたら後ほど。是非お伺いしたい。」
これに誰かが答えたという話は、その後なかったのね。
おいおい、外国人特派員、何やってるのよ。
イッセーさんが問いかけてるじゃない。
誰も答えてないのか!?
それでね、僕はイッセーさんのHP見て、メールしたんです。
「ネットで日本外国特派員協会でのインタビューを見ました。大変重要な問いを抱かれたと思います。この重要な問いに、どなたか記者さん、または会見を見たどなたかから、答えはあったのでしょうか。もしまだ答えが得られていなくて、またもしご迷惑でなければ、お話させていただければと思います。」
そしたらイッセーさんから返信が来た。
スコセッシ監督のビデオメッセージにはとても及ばないけど、でもびっくりしたね。
「ご連絡ありがとうございます。神の沈黙についてクリスチャンの方からご意見を伺うことができるなら嬉しいです。こちらは素人でして「沈黙」ならば「語る」。語ったならば何を? そんなあんばいです。よろしくお願いします。イッセー尾形」
で、僕の見解を書いて送ったんだけど、それはちょっとアレ過ぎるのでここには載せない。そんで、簡潔なお礼の返事が来た。
実際、どの程度に受け取ってもらえたかはわからないけどね。
そういうわけで「・・・」は、僕にとっても去年の「おカデミー賞」だったのね。
ぬスカー像、ホントに監督に送るのかな。
盗聴器とか入ってないか、事務所が分解するのではと心配。
僕が作ったら「おスカー像」だな・・
じゃあまた。
オッちゃんでした!
●文/オッちゃん
クリスチャン家庭に生まれ、高校時代に洗礼を受ける。50にして天命を知る。某プロテスタント教会所属の現役クリスチャン。趣味は読書、映画、80s、モノ書き。愛読書はもちろん聖書。編集長とは不思議な赤い糸で結ばれている。