2018.01.28

『オッちゃん世にはばかる』⑤:「いただきます、その前に」

良い子のみんなは、ご飯食べるときは「いただきます」って言って食べ始めると思いますが。

 

クリスチャン家庭では、「いただきます」の前に大事なお作法があるのね。

 

それがご存知「食前のお祈り」。

 

これは結構知られてると思います。欧米の映画やドラマでもよく見るんじゃないかな。

 

両手を組んで目を閉じて、一人が声に出してお祈りする。必ずお父さんがするという家もあれば、家族が順番にというのもあって、それぞれですね。

 

何を祈るかというと、煎じ詰めれば「神様、この食事を感謝していただきます。アーメン」と、つまりはご飯が食べられることを神様に感謝するのです(って、そのままか)。まあ、これにプラスアルファ、ベータ、ガンマ・・とつくことが多いですけど。

 

牧師家庭の友達は、お父さんが毎回「思えば天地創造の初めから・・」と聖書の内容を振り返って感謝するので、いつも15分くらいかかってたらしい。うちは一般信徒のせいか、大抵30秒未満だったな。

 

クリスチャン家庭の子供は、これが当たり前な環境で育つわけです。で、その子供が家庭の外に出るとどうなるか。

 

アナタがもし普段「いただきます」って言って食べ始める人なら、一度、それ言わないでいきなり食べ始めてみて下さい。・・すっごい違和感があると思います。

 

その感覚を、クリスチャン家庭の子供は幼稚園とか小学生になったときに体験するんです。周りの子が、誰もお祈りしないで、一斉に「いただきます!」って掛け声だけで食べ始める。そりゃ〜青天の霹靂なわけですよ、こっちにとっては。え、え、なんでなんで、お祈りはって。

 

そして大抵ですね、今まで家で当然のようにしていたお祈りが、何か奇異なものに思えてくるんですね。少なくとも、自分が周りと違うことに初めて気づく。そして遅かれ早かれ、「なんでお祈りしないの?」から、「なんでお祈りしなくちゃいけないの?」に意識が変わるんです。

 

そう、それは全てのクリスチャン家庭の子にとって「気づき」であり、その中のある子にとっては「戦い」の始まりなのね。「世間の常識」というものとの。あるいは「神様」との。あるいは「自分」との。

 

これは「続く」だな。

 

ダダンダンダダン。

ダダンダンダダン。

 

I’ll be back.

オッちゃんでした!

 

●文/オッちゃん
クリスチャン家庭に生まれ、高校時代に洗礼を受ける。50にして天命を知る。某プロテスタント教会所属の現役クリスチャン。趣味は読書、映画、80s、モノ書き。愛読書はもちろん聖書。編集長とは不思議な赤い糸で結ばれている。