中3のときに参加した最後の「夏のキャンプ」は最高だった。
いくら僕が恥ずかしがり屋とはいっても、4回目でさすがに勝手はわかってるし、施設の管理人さんにも「また来たね」とか言ってもらえる。アーチェリーとかソフトボールとか、リクリエーションもばっちり活躍した。過去のようなトラブルもなかった。そんな落ち着いた状態でいろいろ考えることができたのは、すごくいい時間だったと思う。
結果的には、僕はここで、自分が信仰を持っていることを確認したのね。だって帰るときに「もう、いつ洗礼受けてもいいや」と思ったもんね。
かといって、次の日曜日に「はい洗礼」というわけにはいかない。洗礼を受けるには、教会で約半年間の「決心者クラス」を受ける必要がある(このやり方や期間は教会によっていろいろ)。つまり、クリスチャンって何なのかを学ぶわけです。何を信じるのかという「教理」とか、洗礼を受けると「教会員」になるので、その意味とか責任とかね。
だから、とりあえずそのクラスに出始めた、というのがキャンプの成果だった。9月から半年だから、まあ洗礼は高校生になって落ち着いた時期かな、という感じ。
そうだ、肝心の甘酸っぱい件を書かないと。
キャンプは毎年何十人という中学生が来るんだから、気になる女の子とか出てきますよ、僕だって。去年のあの子が、今年はちょっと大人っぽくなって、とか。いやあ、ありますよ、やっぱり。キュンキュンしますよ。でも、女の子と二人きりになるチャンスもないし、そもそもよく知らないし、さらに免疫もないし、ねえ。
ところが前回最後に書いたように、その年は、僕が中1まで住んでいた街の教会から女子4人が参加した。しかも彼女たちは全員、僕が行っていた中学の1つ後輩ですよ。
4人になると、もはや集団だね。集団で僕に「せんぱい」「せんぱい」と言ってくるわけですよ。まあ、なんつーか、悪くないよね。
それで東京に戻ったら戻ったで、4人全員から「楽しかったですぅ」的な手紙が来る。それで僕も律儀に、4人全員に「楽しかったねぇ」的な返事を書く。
そうしたら、1人だけから、また手紙が来たの。来たら僕だって返事を書くでしょ。そしたら、また来た。
こうして、「文通」というものが始まったのですよ。
メールはもちろん、ワープロさえない時代。便せんに手書きですよ。
しかし、どこをどう間違うと、僕が女の子と文通など・・・これがキャンプという「非日常」のなせる不思議。
そんで、女の子の字って、かわいいなって。
コロコロっとしてて、読みやすいし。
僕の字はというと、自分で読むのが嫌になるくらいだったので、向こうはどうか知らないけど、文章の波長が合ったんだな、たぶん。
週に1回はやり取りしてたと思う。こっちの受験では励まされ、翌年は向こうの受験を励まし、高校生活に及び、もちろん教会や信仰のこともいろいろ書いた。
文通は、3年くらい続いたかな。
だけど、るるるる~・・・
まあ、なんやかんやあって(というより、むしろなくて)文通はいつしか終わった。
あの膨大な手紙の山はどうなったのか、もはやわからない。
でも、生活やら信仰のことをああやって一生懸命文章に綴ったのは、たぶんいい経験だったんだと思う。・・と、まとめておこう。
じゃあまた。
オッちゃんでした!
●文/オッちゃん
クリスチャン家庭に生まれ、高校時代に洗礼を受ける。50にして天命を知る。某プロテスタント教会所属の現役クリスチャン。趣味は読書、映画、80s、モノ書き。愛読書はもちろん聖書。編集長とは不思議な赤い糸で結ばれている