2018.05.3

『オッちゃん世にはばかる』⑰「東京へ」

中学2年になる前の春休み、僕ら一家は東京、それも23区内に引っ越した。父親が東京にある会社に転職したためだ。

 

東京=公害、スモッグ、人の住む所ではない、というイメージしかなかった地方の中学生が東京に来てまず度肝を抜かれたのは、「人が多い」ということだったね(爆)

 

それと驚いたのが、電車の動きの滑らかさ。それまでは、電車というと旧国鉄で、重い鉄の塊が「ガタン!」と、いかにも「旅が始まる」という感慨とともに動き出すものだったのね。でも初めて乗った東京の私鉄(今思えばアルミの車体だったんだろう)は、音もなく走り出し、大して揺れもせず、しかもあっという間に次の駅に着いた。これはかなりカルチャーショックだった。東京すげーと思ったね。

 

さて、前回小5の転校時に「生意気」といじめられた悪夢の過去を持つ僕は、今度は慎重に行くことにした。自分からは言葉を発せず、ひたすら誰かに話しかけられるのを待ったのね。

 

なのに、初日も2日目も、誰も声をかけてこない。・・・やばい、これでは日陰者になってしまう。それは計算外だ。どうするどうする。そう思った矢先、ある男子が近寄ってきた。「お前、暇そうだな。こっち来いよ。」そうして僕を教室の前のほうで談笑していたグループに入れてくれた。正直、涙が出るほどうれしかった。あれは一生忘れん。こいつがワルだったら僕の人生は全然違っていたかも知れんが、幸い彼はひょうきんな男で、その談笑グループも善良な人たちだった。僕は彼らを核にして、学校での友達関係を築いていけたのね。

 

僕は、懇親会とか立食パーティーとかで、一人でいる人に声をかけることが多いのね。教会に初めて来た人とかにも。それはこのときのことがすごく影響している。一人でいる人がどういう気持ちでいるか、話しかけられるのを待っているんじゃないか、と思うのね。僕だってオープンな性格じゃないから、話しかけるのも勇気がいるけど、僕もそうやって助けられたからね。

それから東京での教会探しが始まった。実際探したのは親だが、一緒にいくつかの教会に連れ回された。

 

教会って、どこでも同じだと思われるかも知れないけど、まあ、極端にヘンじゃなければどこでもいいんだけど、いろいろあるんですよ。良い悪いというのもあるし、合う合わないというのもある。

 

良い悪いは、ここではあまり深くは突っ込まないけど、カルトとまでは言わないまでも、ときどき極端なのがあるんですよ。特に「特定の人に権威がある」(カリスマ牧師とか)のと、「カネにうるさい」(しつこく献金のことを言う)のは注意したほうがいいな。それは何回か行っていればわかる。

 

合う合わないは、まあ簡単に言えば相性。たとえば礼拝で讃美歌を歌うにしても、伝統的なオルガン伴奏なのか、バンド演奏もありなのかで雰囲気は全然違う。落ち着いた礼拝もあれば、イケイケで元気な礼拝もある。聖書をじっくり講義する牧師もいれば、感動的な言葉で聴衆を惹きつける牧師もいる。なるべくなら、相性がいいほうが続きやすいよね。

 

結局僕ら家族が落ち着いた先は、とある100人くらいの教会だった。中学生は数人、多いときは10人くらいいて、さすが都会は違うと思ったけど、やっぱり女子ばかりだった。男子はキリスト教って好きじゃないんか?

 

中学科の先生は若い男性と女性で、いつも二人一緒にいたな。男性のほうはギターを弾いてくれたし、女性のほうは玩具メーカー勤務で、流行り始めたゲームを社員価格で買ってくれたりした。この二人は後に結婚した。

 

出席していた女子の中に、同学年の子がいた。小さいときからこの教会に来ているようだった。彼女は、その年に洗礼を受けた。やたら大人っぽく思えたね。まあ、その辺の話は改めて。

 

とにかく、僕の東京での人生はこうして始まったのだった・・・が。

じゃあまた。

オッちゃんでした!

 

●文/オッちゃん
クリスチャン家庭に生まれ、高校時代に洗礼を受ける。50にして天命を知る。某プロテスタント教会所属の現役クリスチャン。趣味は読書、映画、80s、モノ書き。愛読書はもちろん聖書。編集長とは不思議な赤い糸で結ばれている