ある教会に、独身のクリスチャン青年たちがいました。
Aは子供のときはガキ大将。明るく朗らかで、牧師になることを志していました。
一方Bは農家に生まれ、真面目だけが取り柄の、口下手な男でした。
BはC子を好きになり、それを教会の宣教師に相談しました。
宣教師はC子にそれを伝え、「どうですか。Bさんと結婚しますか」と言いました。
C子は密かにAのことを好きでした。
でもAは別のD子と結婚しました。
C子はしばらく失意の底にありましたが、宣教師の勧めを受け入れ、Bと結婚しました。
1965年、昭和40年のことです。
そうして翌1966年、BとC子の間に、僕が生まれました。
この1966年の干支は丙午(ひのえうま)。
今年2018年は戌年だけど、イヌとか猪とか言っているのは干支のうちの「支」のほうでご存知12種類、「干」のほうは10種類あって、この組み合わせが「干支」で60通り。
つまり自分と同じ干支は60年に1回まわってくるので、60歳を「還暦」というわけですね。
それで話は丙午に戻りますが。
「丙午に生まれた女は夫を食い殺す」という迷信があるんです。
云われはウィキでも調べてください。
要は、この年生まれの女性は嫁のもらい手がなくなるというんです。
ほんと、アホらしいでしょ。
なのにこの迷信を信じる、あるいは気にする人がいた。
実際、出生数は前年と比べてなんと25%も下がっちゃった。
年齢別人口グラフを見ると、この年だけ歯抜けになっているのがはっきりわかります。
高度経済成長期の日本で、こんな迷信のせいで実際に出生率が下がったんです。
迷信が社会現象になったわけです。
僕の両親はクリスチャンだったので、そんなことは当然まったく気にせず(知りもしなかったかも)、僕を産んでくれました。
お袋、ありがとう。
何かを「信じる」「信じない」で、もしかしたら僕は生まれなかったかもしれない。
そんなことを、出生年からも考えたりしてしまうのね。
あ、そうだ。
牧師になったAとD子夫妻には、娘E子が生まれました。
やがて成長した僕はE子を好きになり、二人は結婚しましたとさ。
じゃあまた。
オッちゃんでした!
●文/オッちゃん
クリスチャン家庭に生まれ、高校時代に洗礼を受ける。50にして天命を知る。某プロテスタント教会所属の現役クリスチャン。趣味は読書、映画、80s、モノ書き。愛読書はもちろん聖書。編集長とは不思議な赤い糸で結ばれている。